ユトリロゆかりの酒場2006年09月13日 20:15

ユトリロゆかりの酒場


ユトリロの絵に出てくるモンマルトルの酒場「ラパン・アジル」です。
飲んだくれのユトリロがワイン瓶を片手に出てきそうです。
ユトリロとは違って、ここで美術論議を交わしたというピカソも出てきそうです。


ユトリロは大好きな画家の一人です。
彼の絵には静かな時と、孤独な陰を感じます。


彼の影響を受けた佐伯祐三の絵も大~好きです。
それなのに、佐伯の絵をユトリロの絵と間違うこともしばしばです。
良いファンとは言えませんね~! (-_-;ウーン
佐伯祐三の日本での作品(下落合の風景など)を見たことがありますが、
パリの風景を描いたのと同じ画家の作品とは思えませんでした。


パリには絵になる風景が至るところにあるのです。
もし、日本の風景がもっと詩的で美しかったら、
天才的な画家や音楽家がもっと生まれていたのでは、と残念です。


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コメント

_ 雪虫の伝説 ― 2006年09月13日 23:34

「彼の絵には静かな時と、孤独な陰を感じます」・・・それはきっとユトリロがor画家たちが目の前の風景を、ではなく心象を描いているからだと思いますよ。その心象が貴女とシンクロしているのだと思います。貴女の画家の目と・・です。
だから思います。貴女が思うような画家や音楽が生まれていないのとすれば、それは風景のせいではなく才能がなかったからだと・・・生意気ごめんなさい。

_ youko ― 2006年09月14日 11:19

私は今回はちょっと意見が違います。
画家たちが心象を描いているというのは同感ですが、シンクロしているのとは違うと思います。
画家の描くものに、見るこちら側はただただダイレクトに打ちのめされると思っています。
のみこまれる感じです。(音楽も同様です)
ゴッホを見ればその力強さや狂気に打ちのめされるし、ルノアールの絵の前に立てば、暖かみのある幸せにじわっと包み込まれるし、マチスにはその大胆さに圧倒されるし、という具合に。
ユトリロは誰が見てもそこにある静謐を感じると思います。
そして、絵を描く環境に恵まれることは、画家の才能の開花には欠かせないと思っています。佐伯祐三がパリから一時帰国した時に描いた風景画は、それ以前とそれ以後の彼の作品群の中でも気の毒なほどに彼の才能を発揮できていないと思います。同じ人物が同じ情熱を傾けて描いた作品なのに、です。

日本にも大観や狩野派や北斎・広重などなど天才画家はたくさんいますが、その頃の日本の風景はきっとすばらしく美しかったに違いないと思うのです。描くモチーフは大事です。。・・・・風景画家には特に・・・。日本は環境に配慮する余裕がないまま、ここまできてしまったことが残念なのです。
ヨーロッパではそこにある風景そのものが絵であり音楽である、という環境がふんだんにありますよね。丘の上に立つだけで音楽が聞こえてくるような。山々や木立や草むらや空や風そのものがすでに音楽であり絵画であって、そこにあるだけで人をなごませたり、感動させ続けていると感じます。それに、街並みも美観を大切にして建物の壁の色まで統一させるほどの徹底ぶりですよね。
風景画家にとって同じ才能ならば、生かすも殺すもモチーフが重要ではないかと思うのですが・・・。どうでしょう?

_ 雪虫の伝説 ― 2006年09月16日 01:45

勿論モチーフは大切なのでしょう。その点で貴女の考えに反論などありません。全て正論だと思います。
私が追加したいのは・・・氷に閉ざされたツンドラの大地であれだけ美しい旋律を刻むことのできるチャイコフスキーの才能のことです。まるでワインを片手に地中海を眺めるように五線譜で遊んだ男の才能のことです。
貧困にむしばまれていたユトリロのアルコールで霞んだ目がとらえた風景。戦火の絶えることのなかった血塗られた街で肩を寄せ合っていたエコールドパリの画家たちの目のことです。才能のことです。

_ youko ― 2006年09月16日 11:31

仰ることはよくわかります。本当に天才たちはどんな環境下であれ、その才能を開花させるのだと思います。
ただ、チャイコフスキーは森や川の美しい自然からも、きっと影響を受ていたと思います。もちろん天才は幼少の頃から既にその才能を発揮していますから、環境だけが大事なんて思いませんが。
ベートーベンの散歩道だって、絵にも最高のモチーフですし、小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木の葉のそよぎ、土を踏む自分の足音に至るまで、音楽そのものだと感じましたよ~。現在でさえそういう街並みである環境って素晴らしいですよね。
ユトリロの絵も、白の時代を過ぎて、色彩の時代に入った頃の絵は孤独な感じはしませんね。なので、ユトリロを見て、誰でもが孤独を感じるというのは、彼のどの時代の絵を見るかによって違いますね。ごめんなさい。
佐伯祐三は自身でも、日本の風景には失望したみたいです。
それで、1年間、必死になって絵を描いて売って、渡仏費にしたようです。

_ 雪虫の伝説 ― 2006年09月16日 19:54

ごめんなさい・・なんて仰らないでください。ちょっとつっかかってみただけです。私がごめんなさい・・なのです。

_ youko ― 2006年09月18日 00:41

これからもどんどん突っかかって下さい。
だって、仰っていることはものすご~く良くわかるんですもの。

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